練習しなさい、勉強しなさい、という代わりに、観察を

東大に入る子どもは、親から「勉強しなさい」と言われたことがない、という話を以前の記事でも引用させていただきました。

今朝もまた、セミプロのバイオリニストで慶応医学部に揃って通う姉妹のお母様の教育方針が紹介されていましたので、引用します。

「感受性豊かなお姉さんの子育てでは、多感であるがゆえの困難も抱えたが、なぜぐずるのかをよく観察し、ぐずりながらも自分でやろうという姿勢を後押しすることを意識した」とありました。

モンテッソーリや、シュタイナー教育でも重視される、本人の感性・感覚を育て、自らなんとかしよう、という姿勢を尊重することで、自尊心を育むことが、改めて大事なのだろうと再認識しました。

もう一つの記事では、女の子の発達障害が気づかれにくいという問題を取り上げています。

私自身も、社会人に出てから、コミュニケーションでトラブルを招いたり、事務仕事への苦手さからケアレスミスを注意され、生きづらさを感じてきました。「注意力とは気合の問題である」とされ、ケアレスミス=気合不足として、社会人としての意識が足りないとの指摘に悩みました。

本記事では、女性の発達障害は本人が自覚するのが遅れやすい上、男性と比較して「周囲からせめられやすい」ことを問題として掲げています。日本では性的役割が固定的に存在し、共働きの家庭でも家事と育児は妻が多くを担当。ところが、発達障害の女性の特性は「そうした男性が求める女性の役割」とは正反対であることが多いといいます。

例えば、わたしはAHAD(注意欠陥障害)の傾向があるのですが、AHADは「衝動的で自己中心的な振る舞いが原因で孤立することがある」といいます。しぐさや表情から相手の気持ちを読み取れないASDとは違って、同調圧力による「空気を読め」という場の空気を嫌い、あえて空気を読もうとしないという衝動を発揮することがあるようです。どちらの場合も、「場の空気を読めない・読まないヤツ」とされ、日本社会では生きづらさを抱えることになります。

同調圧力が強く、「人がシステムの奴隷となっている(マルクス・ガブリエル)」とも言われる日本社会のなかで、ASD・AHADの発達障害パワーが、ゆるさやあいまいさが入り込むきっかけを持ち込めるのかもしれません。

コロナ不安を克服するための、新様式に向けた実験を、グレーゾーンも含めた多くの発達障害の皆様とともに、挑戦できたら!そして、親が「同調圧力」による生きづらさを脇において、しなやかに生きる姿が、次の世代の生きやすさにやってくれたなら!