ウイルスとともに生きる時代の“生きる力”
私の教育サブスクの中に、やましたひでこさん主催の断捨離塾があります。
「免疫力」をテーマに、やましたひでこさんと、おのころ心平さんの対談があり、インスピレーションを受けたのでメモします。
「命のご機嫌を説いてきた断捨離からすれば、身体、心、社会という空間が閉ざされていることの影響は大きい。だからこそ、今、自分がいるこの空間を爽快な空間にしていくことが急務である。
意識すべきは、こもっている状態から、再開しましょうという段階に移ったときに、しなやかに立ち上がり、動き出せる状態を維持すること。
そこでは、「俯瞰力:軌道修正のできる自分であるか」、「自在力:つねにアイドリング状態であり、身軽であるか」が問われる。
日常生活を新陳代謝することでよりよいものにする、身軽であるための断捨離が、非日常で人間の尊厳を守ることが難しい局面で、改めて活きる。
おのころさんは、やましたさんが断捨離の世界を探訪するうちにであった、自然治癒力のプロフェッショナル。身体という命を守るために、社会的な命、精神的な命に対する栄養が不足し、心の免疫力が下がることへの警鐘も、本対談では語られました。
- 一体感の喪失
- 親密感の減少
- 文化活動の後退
「外で発散する」という従来のやり方が通用しないいま、大事なのは自分で自分を癒やすというあり方であり、不確実性の高い状況で、自分で自分の答えを出せるかどうかが、自然治癒の観点からは問われるといいます。
癒やしはもろはの刃。誰かに依存的になったり、社会的な状況への批判に陥りがちである。
自分を癒せるということは、自分なりの答えを決めること。自然治癒というは自分で落としどころを決める、自分なりの答えを引き受けることでしか発動しない。
短期、短期で落としどころを決めながら、修正するという姿勢が求められる。免疫が暴走することが、重症化につながるというメカニズムからすれば、複数の答えにふれる努力をしながら、一旦自分の答えを引き受ける、という脳トレをしておくことが、今の時代には求められる。
海外の国には、デモという形で閉塞感を打開しようという動きがあるようです。
日本は、自粛警察という形で村社会的制裁を仲間に与えることで、閉塞感を表現し、発散しているようにも映ります。
対談では、「今のこの状況を読み替える、ファンタジーが求められている」というコメントがありました。「内にこもらねばならないこの時期を、探訪の時間にあてる」というやましたさんの考え方に、私も賛同です。
今までよしとしてきたけれど、社会のあり方は本当に望むものになっているか、自分自身のあり方はどうか、を内省する好機。私にとっては、「子供の教育を大事に考えながら、アウトソーシングでごまかしていた自分」と向き合う機会になっています。
偶然手にした著書に、自分なりの答えを出すためのフレームワークがあったので、シェア。京大卒の元ニートPhaさんが、見田宗介『宮沢賢治』を参照し加工されたもの。
(1)仕事も自分もいい感じ(社会肯定・自分肯定)
(2)やらなきゃいけない仕事はあるけどつらい(社会肯定・自分否定)
(3)自分はもうだめだ、仕事もなにもかもどうでもいい(社会否定・自分否定)
(4)ひたすら自分の好きなことをしているだけで楽しい(社会否定・自分肯定)
→そしてまた(1)に戻る
「軽い不調で、(2)に入っただけなら(1)に戻れるかもしれないが、(2)で深みにはまったら、無理して(1)に戻ろうとせず、(3)(4)を経るのが大事」と、新陳代謝思考が語られています。
phaさんは、(3)の時期は辛くて、自暴自棄になりがちだけど、「(擬似的な)小さな死をときどき死ぬこと」を推奨。ガス抜きが命の尊厳を守る(本当に死んでしまうことを避ける)上で欠かせないと言います。
「うちに籠もる」この機会に、肉体的な命だけでなく、社会的な命、精神的な命*2とも向き合って、実は(3)な自分を見つけて新陳代謝してみるのもありではないでしょうか。私自身も探訪の旅、楽しんでみます🌟