若新とマルクス・ガブリエルの間に

「ウィズ・アフターコロナの新・思考様式は、ゆるくてあいまい」という記事が目に飛び込んできて、思わずひきこまれました。

 

  • 確かだろうと思うものが揺れる瞬間が面白い
  • コロナによって新しい試行錯誤が世界中で起きている
  • 絶対だと思っていたものを疑って、新しいものが生まれるときの試行錯誤を許容する
  • クリエイティブなものはあいまいな中から生まれる、あいまいさをどう許容するか
  • 絶対という便利な仕組みで、窮屈さを感じている人いるし、少数だけど見逃されていたもの、優先順位は高くなかったけど価値があるものを掘り起こせるか
  • 社会を回すために「守るべき絶対」と、あいまいであっていい部分をうまく調合できるのがいい大人。この調合を支えるのが教養

 

仕組み、プロセスに対する窮屈さ問題は、マルクス・ガブリエルさんの指摘にも共通します。 

『創造的脱力』では、若新さんのプロジェクト鯖江市のJK課や、NEET株式会社が紹介されていますが、私自身が一番ガツンときたものは、「当初、僕が仕事をとってきて、結果的に納品するところまでみんな頑張れなくて、依頼主に僕が謝りに行っていたけど、なかさん(ニートの取締役の一人)から、『できないことをやろうとしてもだめです、僕らができることをやればいいんです』と言われて、そうだなと思った」というくだり。

この「なかさん」の世の中を見る感性、これが若新さんのいう「ゆるくてあいまい」な態度で、「システムの良いところと、悪いところ」を見極めて、人中心で選択するための大事な基準ではないかと感じました。

世の中に認められるのに、「期待を上げる必要はない」「しっかりマネジメントしようとする必要はない」、「こういうやり方、働き方だった成立する」ことを証明すればいい、というなかさんの姿勢、素敵です。彼らへの場づくりには力を貸しつつも、彼らから学ぶ姿勢を貫く若新さんの姿勢、さらに素敵です。