Booklog出会い編 『14歳からの哲学』
星占いを見たら、「GWには小説や哲学の本を読むといいでしょう」とありました。
我が家には、哲学という響きへの憧れとコンプレックスの対象としての、哲学本が
いくつかあります。これらと向き合ってみることにしました。
池田晶子さんの『14歳からの哲学』は多くの人が手にとったことのある本だと思います。プロフィール欄では、こんな風に彼女が紹介されています。
1960年生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。
専門用語による「哲学」についての論ではなく、
哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、
多くの読者を得る。
「哲学する」、まさにコロナ禍の私達に問われるあり方です。
正解が定まらず、これまでの常識に頼ることができない今、
一人ひとりが考え、答えを出していく姿勢が問われていると実感しています。
池田さんは、たとえば「善悪」の項では、こんなふうに語りかけます。
なぜ人を殺してはいけないのだろうか。
命は大事なもの、かけがいのないものだからというなら、人を殺すのはいけなくて、牛を殺すのはなぜいけなくないのだろうか。
人を殺してはいけないという絶対的な理由なんか、どうも見つからないみたいだ。
人を殺すのは法律によって罰せられるからいけない、というのはどうだろうか。強力な理由のようだ。でも、これは本当にそうだろうか。
「なぜ人を殺してはいけないか」を法律や社会など外のものに従うことではなく、自分の内側に問うために、「なぜ人を殺すのは悪いのか」と言い換えることにしよう。
もし罰せられることさえ構わないのであれば、しても構わない。
自分がよければそれでいい、ということになる。ここで注意すべきは、「自分がよければそれでいい」という言葉だ。
この時、その人にはそれがよいと“思われる”ことなのであって、それが“本当に”よいことなのかどうかをその人は知らない。
だから、その人はよいと思っていることだけれど、本当はそれはすごく悪いことかもしれない。本当に知らないことを知るためには、どうすればいいか。精神によって、考えるんだね。
「精神によって、考える」、このキーワードで思い出したのは、ドイツの気鋭の哲学者、マルクス・ガブリエルの「精神=Geist」のキーワードです。以前、この本を手にしたときには、ガブリエルの存在は知りませんでしたが、彼が人間の自由を語る上で引用するヘーゲルの精神(独:Geist、英:Mind)という概念を知った今、池田さんとガブリエルさんの思考の連鎖を想像して、もう一度読み進めようと思います。